知られざるZakon

■Elias Zakonの事について調べたので書いてみる.とはいえこの人物にはwikipediaページも作られていないので,そんなに世間から関心を持たれてもなさそうである.私がこれを書く理由は個人的な関心からである.

■そもそもなぜ彼に興味を持ったのか.ここ数年,私は超準解析(Nonstandard Analysis, NSA)の勉強している.この超準解析というものがどのようなものであるかについてはこの記事では扱わない.(私のブログでは過去にこのような記事で少し触れたことがある).超準解析はAbraham Robinson(1918-1974)によって創始された.しかしながら,Robinsonが創始した当初の議論は高階型理論に基づいていることもあって他の数学者には理解が難しかった(というようなことが色々な著者によって述べられている).

しかしながら,W.A.J.Luxemburg編集の1969年の論文集“Applications of Model Theory to Algebra, Analysis, and Probability” に収録された Abraham Robinson and Elias Zakon の論文“A Set-Theoretical Characterization of Enlargements” において,超準解析が数学の「ふつうの言語」である集合論の枠組みで捉えられるようになり,超準解析の普及を後押しした.

もちろん現実はもう少し複雑であり,上の論文集でも超準解析を実現するための方法が幾つか提案されている.とはいえ,いわゆる上部構造によって集合論の中で超準モデルを構成して見せたのは“A Set-Theoretical Characterization of Enlargements”が最初である.上部構造による構成には具体性があるため,あまりモデル理論などの知識がなくても議論を追いやすいのはひとつの魅力ではないかと思われる.実際,M.デービス,斉藤正彦,中村徹の三氏がそれぞれ書いた超準解析入門書でも上部構造の議論が用いられていることに注意すると,Robinson & Zakon は今でもある程度の影響を与えていると考えられる.

ところで,LuxemburgやLoebのように超準解析の「業界」で長く影響を持ってきた人たちと違い,Zakonの名前は目立たない.前述したようにWikipediaページもない.そこで,超準解析の世界にそれなりの足跡を残しつつ無名のZakonという人物についてなんとなく興味を持っていた.

■ふと思いたって検索してみたら彼が “Mathematical Analysis I” という本を書いているらしいことに気づいた:http://www.trillia.com/zakon-analysisI.html 
以下に,この本の「About the Author」というところに書かれていることのうち必要と思われる箇所だけ訳しておく:

■エリアス・ザーコンは1908年に帝政ロシアで生まれ,20世紀ヨーロッパ動乱の余波を受けた.

ザーコンはドイツとポーランドで数学と法学を学び,後に父親の法律事務所に加わった.ドイツ軍の接近から逃れるようにして1941年に彼は家族をシベリアのバルナウルへ家族を連れてゆき,そこで民衆とともに苦難の5年間を過ごした.バルナウルにはレニングラード包囲から逃れてレニングラード工科大学も避難してきており,彼はそこで数学者I.P. Nathansonに会ったのだった.Nathansonの励ましにより,ザーコンは数学の勉強と研究を再開した.

ザーコンと彼の家族はオーストリアのザルツブルクの難民キャンプで1946年から1949年まで過ごし,そこでヘブライ語を独習した.これは彼が流暢に使えるようになった6つあるいは7つの言語の1つであった.1949年に,彼は新しく建国されたイスラエルへ家族を連れてゆき,ハイファのイスラエル工科大学で1956年まで教えた.イスラエル共和国ではロジックと解析学の彼の最初の研究論文を発表した.

彼の人生を通して,ザーコンは音楽,芸術,政治,歴史,法律,そして特にチェスへの関心を絶やさなかった.彼がチェスのマスター称号を獲得したのはイスラエルにおいてである.

1956年,ザーコンはカナダに移住した.トロント大学では,研究員としてアブラハム・ロビンソンと共に働いた.1957年に,彼は(カナダの)ウィンザー大学の数学科に入り,新しく創設された数学の優等学位プログラムを1960年に得た.ウィンザーでは,彼はロジックと解析学の研究の成果の発表も続けた.このポストマッカーシー時代には,多産にして奇矯な数学者ポール・エルデシュをゲストとして迎えることが度々あった.エルデシュはその政治的見解からほどなくして米国から追放されている.エルデシュがミシガン大学や他のアメリカの大学から数学の議論をするために人々が集まるウィンザー大学で話すこともあった.

ウィンザーにおいて,ザーコンは三巻からなる解析学の本を著した.これは製本され生徒に配布された.ザーコンの目標はなるべく早く厳密な内容を紹介することにあった.こうすることによって後の講義ではこの内容に依拠することが出来るからである.

■余談1. Elias という名前はイスラエルの預言者エリヤに由来する.

■余談2. I. P. Nathanson という数学者のことはWebで調べてもよくわからない.

■余談3. Zakon がすでに故人であることはわかっているが没年はわからなかった.

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